LOGIN及川との通話を切る。軽く溜息をつき、私は私の夫の元へ向かう。
入るなと命じられている部屋に近付く。中からは嗚咽が聞こえる。私は静かに扉を開け、中に入る。部屋に入って来た私を見て、私の夫は視線を伏せる。私は夫に近付き、その肩を抱く。
「火事は事故だったのよ……」
慈愛を込めた声を装い、そう言う。
「あの子の葬儀はもう手配しました。だから安心して、あなた」
肩を抱いた私の手を握る、私の夫は泣き崩れている。
「すまん……」
夫はそう呟くように言って、肩を揺らす。私はそんな可哀想な夫を見つめながら、ほんの少し微笑む。
部屋を出て、扉を閉めて。
笑みが零れるのを我慢出来なかった。
誰にも聞こえない声で呟く。
「次はあなたよ」
そう言って私は鼻歌を歌い、その場を後にする。
◇◇◇
郊外の墓地、今日もあの日と同じ雨。でもあの日と違うのは今日の雨は涙雨だという事。私が一ノ瀬家を追い出されたあの日の、雷鳴が響く土砂降りの雨のとは違い、今日の雨はしとしとと降っている。私は墓地の清掃員の制服を着て、大きなマスクをつけ、俯き加減で掃除する。
誰も掃除をしている人間など、気にしない。
少し離れた場所で、家族のみが集まり、私の葬儀が簡易的に執り行われ、私の遺体が墓地の下に埋葬される。
私は参列している少ない参列者の中に、見つける。
私の父―― 一ノ瀬恭介 ――
お父様は少ない参列者の最前列、墓石に一番近い場所に立っていた。
たった一日だ。
たった一日会わなかっただけなのに、お父様の肩は落ち、背中も丸まっている。まるで一気に年をとったように見える。
埋葬が終わると、華瑛さんがお父様を支え、その場を後にする。
雨の中、私は箒を握り締め“自身の葬儀”を見つめ、何も出来なかった。
お父様に伝えなければいけないのに。お父様のすぐ横に居る、その女の策略を。
(今はダメだわ……)
(このタイミングで出て行くのはダメよ……華瑛さんが付いているんだもの……)
(待たないと……お父様が一人になるタイミングを……)
雨が帽子のつばを伝って滴り落ち、私の箒を持っている手に落ちる。
その場に残ったのは、義妹の瑛理香と婚約者だった高橋翔太だ。離れているせいで表情は分からない。
二人は私の墓石を見つめ、何かを話しているようだった。
(一体、何を話しているの……?)
それは一種の好奇心のようなものだったかもしれないし、もしかしたら翔太が私の死を嘆いてくれているかもしれないという期待感でもあった。
唯一残された私の未練は翔太だったから。
だから私は清掃員の振りをして、彼らに近付いた。二人は私が埋葬された墓地を見下ろし、私の墓石に花を投げ付ける。
「はぁー。終わった、終わった」
そう言ったのは翔太だった。
(翔、太……?)
私は持っていた掃除道具を握り締める。クスクスと瑛理香が笑う。
「翔太さん、ダメよ。そんな態度、すぐに出したら」
翔太はそんな瑛理香の肩を抱く。
「えーー、良いじゃないか。もう終わったんだ。美緒は死んだ」
そう言って私の墓石に寄り掛かる。クスクス笑いながら瑛理香が言う。
「お姉様は最後まで知らなかったわね、私がお姉様とあの男に薬を盛って、あの男を仕込んだ事」
そう聞かされ、私の中に激震が走る。あの夜の事は本当に記憶に無いのだ。
「まぁな、家名目当てじゃなきゃ、美緒なんかと付き合う訳ねぇんだよ。あんなつまんない女、退屈で退屈で仕方なかったよ」
そう言いながら翔太は瑛理香の頬に口付ける。瑛理香は甘えるように翔太を軽く押したが、避けはしなかった。
「翔太さん、酷いわ。お姉様は本当にあなたの事、好きだったのにね」
瑛理香はそう言って翔太を見上げている。
「は? あれが好き? あれはただのまとわりつきだろ。面白くも何とも無いし、色気の欠片も無かったしな」
翔太の声は得意げに聞こえる。
「お前も俺の子を身籠って、高橋家とも縁を繋いだんだ。一ノ瀬の家の財産はそれ程でも無いが、家名はデカイからな。うちみたいな二流の家とは訳が違う。これでうちの財産と一ノ瀬の家名、二つとも手に入れて、俺たちは安泰だ」
翔太にそう言われた瑛理香が雨が降っている空を見上げて言う。
「翔太さん、お姉様が上から私たちがこうしているのを見たら、どんな顔をするかしら?」
そう言って翔太の顔を見た瑛理香の顔は嬉々としている。
「でももし、お姉様が死んでいなかったとしても、結局は同じだったでしょうけどね」
瑛理香はそう言って、私が埋葬されている墓石をそのつま先で小突く。
「だって ――」
そう言って瑛理香は翔太を見上げる。
「お父様も私たちを応援してくれているもの! もしかしたらお父様の心の中では、私と翔太さんこそがお似合いのカップルなのかもしれないわ! 丁度、お父様とお母様みたいに」
手に持っていた掃除道具をつい落としそうになって慌てて握り直す。
全ては計画されていた事だった……。
お母様に離れを使うアイデアは却下されてしまった。あの離れは確かに手を入れてない。あの離れにはお姉様が一人で住んでいた。本邸に居るだけで目障りだったお姉様を離れに追いやった時はスッキリしたけれど。お姉様が居なくなった今、あの離れは誰も住んでいない廃墟のようになるのが目に見えている。だからこそ、一ノ瀬家の唯一の令嬢である私が使ってあげようと思ったのに。気持ちを切り替える為に本邸でのお茶会をどこでやるか、考える。やっぱりテラスかしら……そう考えていると、お屋敷に誰かが入って来た。入って来たのは翔太だった。(そうだわ、翔太にも相談しよう)そう思った私は入って来た翔太に声を掛ける。「翔太」声を掛けると翔太が私を見て、微笑む……いえ、私を見て眉を顰めた。「あぁ、瑛理香」そう言って辺りをキョロキョロ見回す。「お義父さんは?」そう聞かれて私は言う。「知らないわ、書斎にでも居るんじゃない?」そう言うと翔太はそのまま私を素通りして行こうとする。「待ってよ」そう声を掛ける。翔太は振り向き、聞く。「何? 俺、急いでるんだけど」そう言いながら翔太は手に持っているスマホに目をやる。「明日にでもお茶会を開こうと思うの」そう言うと翔太は眉間に皺を寄せて言う。「あぁ、良いんじゃない」素っ気ない返事にイラっとする。「お姉様の使っていた離れを使おうと思ったんだけど、お母様がダメだって」そう言うと翔太が私を見る。信じられないものを見るような目付きだった。「離れ? あの離れ?」翔太はそう言ってはなれのある方を指差す。「えぇ、そうよ。でもお母様がダメだって」翔太は大袈裟に大きく溜息をついて、言う。「瑛理香、本気かよ。あの離れは美緒が使ってたんだ、縁起でも無いだろ」そう言われて私は自分の思い付いたアイデアを貶されて更にイラっとする。「だって! 今はもう誰も使ってないのよ?」そう言うと翔太は肩をすくめて言う。「お前のそういうとこ、嫌いじゃないけどさ。今はまだ美緒が死んでからそれ程、時間も経ってないんだし、大人しくしてる方が良いんじゃないか? 評判にも関わって来る話だろ?」そう言いながら翔太はまたスマホを見て、私に言う。「とにかく今は俺、忙しいんだよ。九条グループの株価がまた下がってるんだ。ここは俺たちが九条を出し抜けるかどうかの大事なタイミング
「私はそろそろ本邸へ戻るわね」真中芙美がそう言って私の執務室を出て行く。真中芙美が耳に付けた盗聴器には和久井と華瑛の楽し気な会話が聞こえているらしい。私は離れの執務室から窓の外を見る。生い茂った緑、手入れの行き届いていない、庭。この離れを囲む木々や雑草の手入れは許されていなかった。全ては華瑛の指示だ。離れではあるものの、ここだけで独立して生活自体は出来るよう、設計されている。香織様がここへ来てさえいれば、本邸で過ごされる事がなければ、或いは、香織様をお守り出来たかもしれなかった……?いや、違うな。あの華瑛と香織様が出会ってしまった事……それが全ての間違いだったのだ。私は七倉からの指示を受けて、香織様に付いてこの一ノ瀬家へ入った。一ノ瀬恭介との結婚は、七倉が渋ったのだ。既に見合いを済ませていて、婚約もしている男が懸想して見合いでの縁談を破談にし、アプローチをして来たのだ。一見、ロマンチックに見える、そんな話だが、実際には違う。最初にした約束を反故に出来る、そういう男なのだという判断を七倉がするのも当然だった。だが、香織様が絆されてしまった。一ノ瀬家の縁談の相手が三崎家だという事を香織様は後になって知ったのだ。だからこそ、一ノ瀬恭介からの申し入れを何度も断り、三崎家の華瑛と結婚するよう、進言もなさったのだ。それを強行しておいて、あの男は……香織様の妊娠中に……そう思うと腸が煮えくり返る。その事を知った香織様は私に託したのだ。いつか、その時が来たら、その時は。そんな決意を持って遺言状を書いた香織様の胸中を思うとやりきれない。◇◇◇通りかかったメイドを呼び止める。「ねぇ、ちょっとあなた」呼び止めたメイドは私を見て、頭を少し下げる。(この人、この間、紹介状で入って来た人ね)そう思いながら私は言う。「お茶会を開くわ……そうね、明日! 明日にするわ!」そう言うとそのメイドは少し微笑み、頷く。「かしこまりました。旦那様や奥様には?」そう聞かれてイラっとする。「お母様は好きにしろと仰ったわ、だから良いの!」そう言いながら私はパッとアイデアを思い付く。「そうだわ! あの離れを使いましょう!」◇◇◇温室に咲くエンジェルストランペットを愛でる。あの小部屋にあるのはピンク色だけれど、ここにあるのは毒々しい青い色のもの。もう少し咲い
「ねぇ、お母様、聞いている?」そう聞いてもお母様は上の空だ。最近の九条家の株価の下落のニュース、そして一ノ瀬家の癌だった美緒の抹殺。全てが上手く回っているのに、私は何故か、落ち着かなかった。屋敷の中がざわついているような、世間の目が何故か私の思っているように動いていないような、そんな漠然とした不安感。最初は私自身が妊娠しているから、そんなふうに不安感が押し寄せるのだろうと自分自身に言い聞かせていたけれど。お姉様が死んで、やっと私の天下が来る筈だったのに、社交界は私の存在など見向きもせず、私が妊娠している事を理由にお茶会にも呼ばれない。気晴らしに買い物に行っても晴れない気分。婚約者の翔太も九条家の落ちて行く評判にばかり気を向けていて、私に見向きもしない。(もっと、妊婦は労わって貰える筈でしょう?)だから私は通りかかったお母様に声を掛けたのだ。漠然とした不安感を払拭して欲しくて。それなのに。「あなたの好きなようになさい」お母様はそう言って、自分の背後に付いて来ている、新しい使用人の和久井に視線をやると、和久井に向かって言う。「庭園の温室に行くわ、付いていらっしゃい」そう言って和久井を連れて行ってしまう。日々、大きくなって行くお腹。普通なら胎動を感じて、感動したり、喜び合ったりする人たちが、私の事も新しい命の事も全く、視界に入っていない。徐々に動きを、そして生活を制限されて行く、閉塞感に私は苛ついているというのに!お父様は書斎からほぼ出て来ない。お姉様の死がそれ程、ショックだったというのだろうか。お父様ご自身がお姉様を遠ざけたというのに。最近はお父様も体調を崩している気がしている。顔色が悪いし、食事だってそれ程、召し上がらない。外へ出る事も減ったし、及川に聞けば、書斎の奥にある仮眠室で眠っていると言われる事が増えた気がする。お姉様が居た時はこんなにバラバラじゃなかったのに。私は自分のスマホを操作しながら考える。(そうよ、呼ばれないなら呼べば良いじゃない)お母様だって好きにしろと言ったんだから、好きにやるわ。◇◇◇仮眠室に入ったは良いものの、小さな簡易ベッドに横になっても、頭痛は消えない。そんな事は良く分かっている。ベッドのサイドボードにある写真を手に取る。香織、そして美緒。私の美しい妻と美しい娘。私はどうして彼女たちをちゃんと
「暁斗様、このような情報が入っております」そう言われて差し出されたタブレットを見ると、そこには四季凪の文字。「僕の家門に加わった人間が……?」坂崎に聞くと坂崎が言う。「九条征哉でしょう」そう言われて苦笑する。我が四季凪家はかなり昔に名前だけを残して、その家の人間は絶えたと言われて来た。だが、実際には遠縁ではあるものの、直系として今は僕・四季凪暁斗が居るが、それは公には知られていない。あの九条征哉であっても、だ。九条家は四季凪の家の名跡を守る為に四季凪という名跡を保護・管理している、と表向きはそうなっている。それは僕自身も把握している事だ。四季凪家は力が弱まってしまい、僕は直系であるにも関わらず、四季凪の名を欲しがる者たちから逃げ延びなければならなかった。それだけ四季凪の名を持つ事は、政財界にとっても、世間的にとってもかなり大きな影響力を持つ事と同義だった。だから僕は四季凪を名乗らず、現在は凪野と名乗っている。そんな四季凪に追加された名前。四季凪美織……聞くからに美しい女性である事が窺える名前だ。急に追加されたのだから、九条征哉によるものだろう。九条征哉は覇王だ。今のこの世界においては彼よりも力が上の人物は居ないだろう。「暁斗様、いかがいたしましょう」坂崎にそう聞かれて俺は考える。「……会ってみたいな、その四季凪美織に」◇◇◇面白いように話が進んでいた。あの盤石だった九条グループの株価が落ちてきている。たった一つの噂を流したに過ぎないのに、だ。絶対王者の九条征哉が体調の不調を抱えている。ただそれだけの噂でこんなにも脆くも崩れ去るなんて!最初はただ家同士が決めた結婚だと思っていた。いわゆる政略結婚だ。相手は一ノ瀬家の長女。見た目も地味で面白味の無い女。一緒に居ても何の刺激も無く、日々、淡々と過ぎて行くだけの女。退屈凌ぎに俺は美緒に気付かれないように遊び回っていた。そんな時に俺に声を掛けて来たのは一ノ瀬家の次女の瑛理香だった。瑛理香は派手な見た目を上手く押し隠し、一ノ瀬家に馴染んでいたが、仮にも義理の姉の婚約者である俺に声を掛けて来たのだから、面白そうだと思った。聞けば瑛理香は一ノ瀬の正当な血を受け継いでいるそうだ。だから俺にとっては美緒だろうが、瑛理香だろうが、どっちでも良かった。高橋家は新興の財閥。最近になっ
「青の鎖……」私はそう呟いてその錠剤の画像を見る。言葉を聞くだけで、何か禍々しさを感じる。「モルフォ・シアニドは片頭痛の錠剤であるロイゼノンに少量ずつ混ぜられていた」九条征哉にそう言われて私は聞く。「少量ずつ?」そう聞くと九条征哉が頷く。「モルフォ・シアニドは毒性が強く、しかもモルフォ・シアニドで死に至ると、その特徴が体に出やすい。つまり」九条征哉がそこで言葉を区切る。「証拠が残りやすいって事ね」私がそう言うと九条征哉が微笑む。「そうだ」九条征哉はそう言うと私の腰を抱く。「この毒は体温を下げながら静かに神経系を麻痺させていく合成毒だ。飲むたびに身体の自由を奪い、最終的には心不全に見せかけて命を絶つ。華瑛は一ノ瀬恭介の自由を“青の鎖”で縛り上げ、病死に見せかけて完全に自分の手中に収めるつもりだったんだろう」お父様も華瑛の殺したい人間のリストに載っている……。本当に何を考えているんだろう。「華瑛は何を考えているのかしら。今更一ノ瀬家の財産云々は関係無さそうだし……」私が独り言のようによう呟くと、九条征哉がまたタブレットを操作し、私に見せてくれる。「華瑛と香織は学生時代、親友だったらしい」目を見開く。タブレットには若かりし頃の華瑛とお母様が並んで笑って写真におさまっている。「親友同士、だったの……?」お母様と華瑛が友達だった事は何となく予想はしていたけれど、親友同士だったなんて、聞いた事が無かった。その時、遠い記憶が呼び起こされる。あれは、確か……そうだ、華瑛が結婚した夫を不慮の事故で亡くした後の葬儀の時。お母様と華瑛が抱き合い、お母様が華瑛を慰めている場面……私はそれを見ながら幼いながらもお母様の大切な友達なのだと思っていた。だから私の中でその葬儀の時の華瑛と、一ノ瀬家に入って来た時の華瑛とが繋がらなかった……?「華瑛自身が何を考えていて、何を目的として動いているのかは、今のところ、華瑛本人にしか分からないだろう」九条征哉の言う通りだ。「だが色々な事について可能性を全て考慮に入れて、不測の事態にも備えなければならない」そう言って九条征哉は私の腰を引き寄せる。「相手は毒殺も爆殺もして来るような奴らだからな」そう言われて私は九条征哉を見上げて聞く。「そういえば、私が収容されていたあの施設の爆破はやっぱり、華瑛が
部屋に和久井を入れて、私は振り返る。和久井はその端正な顔立ちにほんの少しの微笑みを浮かべて私の言葉を待っている。私は和久井との距離を詰める。和久井は微笑みを崩さずにただ立っている。(感情の読めない子ね)そう思いながら私は言う。「あなたにお願いがあるの」そう言うと和久井が聞く。「はい、奥様」私は和久井の胸板に手を這わせてその逞しい胸板に触れる。◇◇◇報告を聞き、また笑う。(良い男を派遣し過ぎたか……)正直、華瑛が若い男に興味があるとは思っていなかった。とはいえ、屋敷の中で家人が知らない公然の秘密として使用人を愛人にしているのだから、それは無い話では無いなと思い直す。和久井はそんなものを処理出来ない程、無能では無いし、必要であれば、華瑛と寝るぐらいは何でも無いだろうが。俺は溜息をついて、椅子に深く座る。華瑛という女が考えている事が本当に良く分からない。俺の手元のタブレットには華瑛と香織の学生時代の調書が上がって来ている。注目したのは華瑛と香織が親友であったという一文だ。親友であったなら、そこに嫉妬の感情は発生するだろうか。いや、親友だからこそ、自分が好いている相手が親友を好きになってしまったら、それこそ感情が反転するのかもしれない。誰かを好きになった時、その想いが重ければ重い程、その反転具合は大きいだろう。だから香織を毒殺した……?どうにも解せない。何かを見落としているような気がする。俺は椅子から立ち上がり、美織の部屋へ行く。情報は共有した方が良いだろう。腕時計をチラッと見る。そろそろ華瑛が一ノ瀬恭介に飲ませているという錠剤の分析結果も上がって来るだろう。◇◇◇身体が時と共に癒えて行くのが分かる。それ程までに私はこのお屋敷の中で甘やかされていた。何をするにでも上原さんが先回りをしてくれるし、至れり尽くせりだ。「美織」そう呼びながら部屋に入って来る九条征哉は私がこの屋敷に意を決して入って来た時とは、既に全く別の人物と言って良い程、私に甘い顔をするようになっている。ソファーに座っていた私が立ち上がると、九条征哉はそのままソファーに座り、私の手を引き、ソファーに座らせる。「どうしたの?」そう聞くと九条征哉が笑っている。「面白い事をたくさん、聞き付けたぞ」そう言いながら微笑む九条征哉は私の手を取り、言う。「華瑛が動き出し
及川は私を見つめ、頷く。「お嬢様、生き延びてください。それもあなたのお母様の最後の願いなのですから」そう言われて私はポロポロ落ちる涙を拭い、聞く。「私は、何をすれば?」及川が簡潔に言う。「時間がありません。今すぐにお嬢様のお召しになっている服とネックレスを外して頂けますか」及川はそう言って自分の足元にある遺体袋を見る。「この遺体にお嬢様の服を着せ、ネックレスをつけさせます。そうすればお嬢様は死んだ事になり、万が一にも生きている事が知られたとしても、その時にはお嬢様はここから遠い地へ離れている事でしょう」及川は私に紙袋を渡す。「着替えは中に」その紙袋を受け取る。漆黒のワン
目が覚める……。チカチカと視界が霞む。寝かされている場所は……色味の無い部屋……? (ここは……どこ……?)(昨日のあれは……夢だった……?)微かな希望だった。昨日の夜の事は私を襲った悪夢、そう思いたかった。けれど。
お父様のそんな声を転がりながら聞く。お父様がそう怒鳴りながら私に近付く。しゃがみ込んだお父様は私に小さな声で囁く。「美緒」そう言われて私は少し驚く。その声に優しさが滲んでいたから。「よく聞け」そう言う声は低く、雨音にかき消されそうな程で、恐らくは私にしか聞こえていない、そんな声だ。「お前を療養所に送る。そこで大人しくしていろ。騒がず、逃げる事も考えずに、誰とも連絡を取るな」私は赦しを乞おうと言葉を口にしようとして、それでもそれが言い訳にしか聞こえないだろう事を思うと言葉が出ない。お父様は私の腕
「一族の面汚しだ!」土砂降りの雨の中、私は泥の上へ叩き出される。雷鳴が鳴り響き、雷の光がお父様の背後のお屋敷を照らし出す。お父様は私を見下ろしながら私に何かを叩き付ける。「これは一体、どういう事だ!」私の頬に叩き付けられたもの、それは数枚の写真。私の頬に叩き付けられた写真が土砂降りの雨の中に散らばる。その写真には私が男に肩を抱かれホテルの部屋に入って行くところが写っている。しかも写真はそれだけにとどまらず、私とその男が半裸でベッドに居るところまで写っている。(どうしてこんな写真をお父様が持っているの&